靖國神社正式参拝して参りました。

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先日、「靖國神社正式参拝」して参りました。

靖國神社といえば、閣僚の参拝でニュースを賑わせているため、「なんだかめんどくさそうな神社」「一生行くことはない」と思っていました。


それが、靖國神社に行くことになったことも驚きましたが、初めて行く日に、正式参拝することになろうとは…人生はほんとうにわからないものです。


靖國神社とは、明治天皇が、戊辰戦争の頃から国のために命を懸けてくださった方たちの御霊を祀るために、明治2年にお建てになられた神社。

戦死だけでなく、戦争のため国のために命をささげてくださった方たちを祀っておられます。



参拝当日は、夏至と新月と部分日食が重なった日。

滞りなく参拝を済ませたあと、お隣の遊就館へも行ってきました。

こちらは、一階にゼロ戦を展示。二階にはさまざまな遺品が展示されています。

120分コースを時間がなく、30分で見て回りました。



映画や高齢者の方たちの話でしか戦争のことはわからない世代を生きてまいりましたが、戦争はもう絶対にしないと心の中ではずっと思っておりました。


神社の樹々の合間から空を見上げると、薄曇りの都会の空がありました。


兵隊さんたちは、ほんの数十年前、暑い暑い熱帯の南国で、寒い寒いシベリアで、食料も武器もない中、精神力と、日本の家族、子孫を思いながら、生きておられたことを感じました。


さまざまな思いを兵隊さんもそしてご家族の皆さまも抱えておられたと思います。


めんどくさそうな神社だと思っていたことを恥ずかしく思いました。

思い込みとはほんとうにこわいものだと思います。



負ける戦のために戦死するなんて、とか、特攻は犬死だったとか、さまざまなことを言われています。


私たちは、自分のことを理解してもらえない、間違ったうわさで非難されると「それは違う」と主張することも、話をすることもできます。


けれど、死人に口なし、で、兵隊さんたちの思いをお聞きすることはできません。


また、おひとりおひとりが様々な思いを抱えておられたことでしょうし、どれが真実でどれが正しいとか間違いも調べることも叶いません。



けれど、ただただ、これからの日本の国のため、家族のため、子孫のため、平和な世界で元気にしあわせに生きていってほしいと誰しもが思われていたのだろうと思います。



それを思うと、私たちはそれをしっかり受け取っているのだろうか、そしてそれを私たちの子孫にも受け次いでもらえる世界を生きて創造しているのだろうかと思いました。


ありがとう。ありがとうございます。


その言葉を心の中で繰り返しつぶやいていました。



皆さまも私のような思い込みを抱えておられましたらぜひ参詣なさっていただけたらと思います。



戦死したことよりも、思いを受け取ってもらえない苦しみの方が大きいかもしれません。




最後までお読みくださってありがとうございます。