仁徳天皇 かまど物語 神芝居より



ご訪問くださってありがとうございます!


今日は、「仁徳(にんとく)天皇」の、神芝居のお話を書いてみたいと思います。




その前に、これから、天皇のお話を書いていきます。

私は、右翼でも左翼でもどちらでもありません。
しいて言うならば、真ん中をとって、中立で、「中(なか)よく」です。(^^)



第16代天皇の仁徳天皇は、日照りが続き、農作物が取れなかったことから、人々の暮らしを心配して、皇居の高台から民家を眺めました。



家々のかまどから煙が立っていないのをみて、「貧しくて炊くものがないのであろう、都がこうだから地方はなお苦しんでいることであろう」と、向こう3年間、税を課さないと申されました。



そして、3年後、高台に登られると、少しずつ民家のかまどから煙が立ち登っていました。



天皇は「高き屋に登りてみれば煙立つ、民のかまどはにぎわいにけり」と申され「我すでに豊かになった、民はおおみたからなり」と申されました。



それを耳にされた皇后は「私たちの住んでいる皇居の垣は崩れ、雨漏りしているのにどうして豊かになったと言われるのですか?」とお聞きになりました。



すると天皇は、「昔の天皇は、民の一人でも飢え、寒がるものがあるときは自分を省みて自分を責めた。今、民が豊かになったのは、自分も豊かになったのだ」とお答えになりました。


やがて、仁徳天皇に感謝した人々がお願いに来ました。



「三年も税を免除されたために私たちは豊かになりました。それに比べて皇居は朽ち果てています。もう税を取り立ててください。皇居を修繕させてください」と。それでも、なお3年、天皇はお許しになりませんでした。


そして、やっと税をお許しになると、国民はみんな喜んで税を納めたのです。



また、皇居の修繕も、国民自ら喜んで行いました。


「天が天皇を与えたのは民のためである」



日本の天皇は、神武天皇以来、国民を「おおみたから」と呼んで自分の子どもと思い、何よりも大事な宝として大切にしてきた伝統が今もなお受け継がれています。



それは、ただ、ひたすらに国民のしあわせを願う仁愛の心です。


また、国民も真心を持ってその親を助けようと国のために尽くす。

このような国柄であったことが、日本が2000年以上も続いてきた理由なのかもしれません。

~神芝居より~

世界の国々では、王が国民の上に立ち、国民を支配するという支配者と被支配者の関係性でしたから、王政が倒されたならば、リセットされてべつの支配者が支配するという歴史を繰り返しています。



日本は、天皇は国民を子どもと思い大切にするというまったくべつの関係性でした。



そんな日本だからこそ、建国の精神「八紘一宇」でうたわれているように「世界平和」を実現していける真のリーダーとなることと思います。



日本人であること、日本に生まれてきた意味を、自分に問いかけてみると良いかもしれません。

最後まで、お読みくださってありがとうございます。

※神芝居Ⅱ 和の国の物語より抜粋 伊藤直美さんより許可をいただいています。