
昔、小学校に入るか入らないかの幼い頃、近所のお友だちとめいっぱい遊び、午後3時になると家に帰っておやつを食べ、食べ終わるとまた外に出て遊んでいました。
そうしたところ、父にコンコンと説教されたことを今でも覚えています。
父曰はく、ここに一個のおいしいリンゴがある。
これを一人で食べたらお腹いっぱいになるだろう?うれしいよね!
そしてお友だちと分けて食べるとリンゴは半分に減ってしまうね。
けれど、お友だちと一緒においしいリンゴを食べるとおいしさは倍に増えるんだよ。
お友だちが一人二人三人と増えると、自分が食べる分は少なくなるけれど、さらに美味しくなるんだよ。と言われました。
食いしん坊の私には信じられない事でした。が、試しにやってみたところ、お友だちとワイワイ話ながら食べるおやつは、ほんとうに父が言った通り、私も友人も笑顔いっぱいでお腹も心の中も満たされたことを体験しました。
それから、いつもおやつはお友だちと分けて食べるクセが付きました。(笑)
食は、お腹を満たすものと考えられていた時代は過ぎ今は、「心と頭も」満たすものと話す農業の専門家の先生のお話をお聞きして参りました。
人口も減ってきている中、たくさん作るより、今は「量より質」が求められているそうです。
一方で、給食が命綱の子どもたちもいて、とにかく安いものでもたくさん食べられたら良いという人も少なくないようです。これは政府が支援すべき問題で、今回はテーマと離れてしまうので「質」の話を書いてみたいと思います。
今、夏場にもほうれん草が食べられます。
これは一年中食べられるようにしたからですが、旬のモノをいただくことが無くなり、有難い食べ物は、当たり前のように食べられるようになり、感謝の思いも薄れてきているのかもしれません。
海外では、値段の高い卵や作物も、「私がこの山を守り農家さんを支えているんだ」という思いで幼い子どもも普通に高い作物を買うのだそうです。
その代わり農家さんは安心でおいしいもの作ってね!と。
私たちは高いとか安いという「値段」だけで判断するクセが付いています。が、それを作ってくださった農家さん、運んでくださった人、お店で売ってくださる人を思うと、食べ物を捨てたり、お米一粒も残したらいけないと言った昔の人の思いに触れ、胸がいっぱいになります。
最年少で農水省政策審議員になった先生は、「農業は教育」とおっしゃっていました。
尊敬するよしりん先生は、「食は信仰」。
神様からの贈り物、命をいただいて私たちは生きていられるとおっしゃっています。
農業は知れば知るほど奥が深いですね。
昔はほとんど全員が農業をしていたわけです。
土に触れ、種から成長して実がなりその後は肥料やえさとなり、自然に回っていたのですね。
今、循環型政策を海外から言われてやっていますが、もともと日本は自然にやってきたこと。
そんな素晴らしい日本を取り戻したい。
笑顔あふれる日本にしたい。
連日、そういう思いの方たちとの出会いが続いております。
感謝✨
最後までお読みくださってありがとうございます!