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今日は、「縄文時代 争いや戦争がなかった理由 集合意識で暮らしていたから?」のお話を書いてみたいと思います。
今、私の周りでは、密かに縄文ブーム。
シンクロで、縄文文化に携わる人たちとお会いすることが増えてきました。
縄文時代は、1万年もの間、争いや戦争がなかった時代。
縄文時代の遺跡から戦争の形跡がいまだに発見されていないことから、平和な時代が長く続いていた、と言われています。
文明が発達した現代は、今も、世界のどこかで争いや戦争が起きています。
縄文時代と今、どちらがしあわせな時代なのかなと考えてしまいますね。。
縄文時代は、歴史の教科書では、木の実を食べ、狩りをしながら遊牧していたと教えられてきました。
けれど、青森県三内丸山で発掘された縄文時代の遺跡から、都市機能を備えた高度な生活を営んでいたことがわかったそうです。
縄文時代のことが書かれた「ホツマツタエ」には、縄文時代の文字と言われるヲシテ文字で書かれています。
単に「歴史」だけでなく、「建国の理念」と「思想」が説かれ、「衣食住」「子育て」「教育」「文化」「生命」など、人間社会を向上させる取り組みが語られていて、今まで教わった世界とはまるで違う世界だったようです。
また、「ヲシテ文字」は全部で48文字。
なんと「あいうえお」は縄文時代からあったのです。
高度な文明を持ち、平和な生活が長く続いていた理由。
それは、縄文人は「集合意識で暮らしていたから」ではないか、と言われています。
集合意識はすべてつながっているので、自分と他人の区別がない。
私はあなたであり、あなたは私。
今のような分離感がないため、争う理由がなかった。
争うなんて思いもしなかったのかもしれません。
物質世界に長く暮らすうちに、遠ざかっていた精神世界。
どちらもバランス調和を取りながら、精神世界へと移行する時代になってきているようです。
モノは、なくなります。
精神は、なくなりません。
今まで、モノに偏り過ぎていた世界から、精神性をも重んじる世界へと移行する時期なのかもしれません。
もちろん、物質と精神と両方のバランス調和を大切にしながら。
縄文時代の話を聞くたびに、その魅力と奥深さに魅了されています。
縄文時代から教えられることはまだまだありそうです。
最後までお読みくださってありがとうございます。