相手に「寄り添う」 真の意味とは?

ご訪問くださってありがとうございます!


今日は「相手に寄り添う 真の意味とは?」のお話をしてみたいと思います。


カウンセリングでは、「相手の心に寄り添う」ことが基本とされています。


真の意味で、私はこれがほんとうにできているとはまだまだ言えないな…(:_;)、と思った話をご紹介しますね。




あるところに、手の付けられないわんぱくな子どもがいたそうです。

叱ってもなだめても手が付けられなくて両親もほとほと困ってしまい、お寺のご住職に相談して、子どもと住職が数日間ふたりで生活することにしたそうです。



こどもは、「きっと、長い説教をされるんだな」と構えていましたが、住職は、ひとこともその子に対して説教することはなかったそうです。


ただ、たんたんと二人だけの生活を送りました。




数日後、住職が帰る日になっても、住職は子どもに何も言いませんでした。


拍子抜けした子どもは玄関まで見送りに行きました。


住職は、玄関に腰を下ろして下駄をはきながら、うつむいていました。

玄関にはポタポタと涙がこぼれていました。



住職は寝食をともにしながら、子どもが抱えていた悲しみや苦しみを思い、それで涙をこぼしていたのです。



それを見た子どもは、「自分のことをわかってくれた」と感じ、それ以降、自分の行動を改めたそうです。




両親は、「住職は何と言ってくれたのだろうか」と感心したのですが、住職は一言も説教せず、ただ子どもの心に寄り添い、涙した。


それが子どもの心を開いたのです。



寄り添うという真の意味は、こういうことなんだなと思いました。





これは、知り合いの作家の先生からお聞きした話ですが、多額の脚本代をギャンブルに投資ばかりしていて、困った奥様が教会の牧師さんに、なんとかしてほしいと相談されたそうです。



作家の先生は、「牧師から何を言われても俺は変わらない」、と強く思っていたそうです。



が、牧師さんも、作家の先生の話をただただ聞くだけで、一言も教え諭すことはしなかったそうです。



そして、牧師はひと言も説教することなく帰っていきました。


が、作家の先生は、「俺は変わらない」、と強く決めていたはずなのに、その牧師さんの姿を見て、奥さまのことを思い、牧師さんのことを思って、自ら改心することを決めたそうです。



寄り添うとは、その人のことを心から思う。そして、その心にそっと寄り添ってあげること。




何とか説得しようとか、アドバイスしよう、としなくても、本人自らが決めて動くことが、なにより大切。

話して変わるというより、その人の在り方から感じとって、人は自ら変われるのだと。




真の意味で、「相手の心に寄り添う」。

それができているのかといつも自省しています。












最後まで、お読みくださってありがとうございます。

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