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今日は、「宇宙の流れに任せる」について、お話してみたいと思います。
昔、ある村に若い娘がいました。
村の若者と恋におち、娘は身ごもってしまいます。
困った娘は、両親についうそをついてしまいます。
赤ちゃんの父親は、村のお寺の住職だと。
怒った両親は、赤子を抱え、寺の住職のところへ。
「やい。うちの娘になんてことをしたんだ。赤子の父親は住職だというじゃないか。この子は父親のお前が育てろ」
住職は、身に覚えのないことであり、また、突然そんなことを言われたにもかかわらず、「ほう、そうか」と言って赤子を引き取ります。
それから住職は、お寺で赤ちゃんを大切に育てます。
数カ月、一年経った頃、
娘は、うそをついたこと、我が子恋しさに耐えられず、両親へ本当のことを打ち明けます。
驚いた両親は、いそぎお寺の住職のもとへ。
「住職、申し訳ない。うちの娘が嘘をついていました。どうか赤ちゃんは私どもにお返しください」
住職は、この時も、「ほう、そうか」と言って赤ちゃんを両親へ返しました。
私は、初めこの話を聞いた時、住職は、自分に身に覚えがない、調べればすぐにわかることなのに、なぜ、それをしなかったのかともどかしく思いました。
また、娘のうそがわかって、両親が引き取りに来た時、なんて勝手なことをと言い返したくなりそうなものなのに、何も言わず、赤ちゃんを返しています。
住職には、自分の意思はないのかと私は最初そう思いました。
けれど、赤ちゃんを引き受ける時も、赤ちゃんを両親へ返すときも、住職はただ、「ほう、そうか」と言って受け入れることで、村の娘にとっても赤ちゃんにとっても、周りの人すべてにとってしあわせな方へ導かれています。
住職には、意思がないのではなく、それは自分の意思という鎧を着た自我を捨て去った姿。
真の自分、ほんとうの自分、愛で生きる姿です。
宇宙の流れに身を任せるとは、何もしないということではありません。
自分の意思を持たないことでもありません。
それは、自我の言いなりではなく、真の自分で生きる本当の自分で生きる、ということを意味しています。
そうすることで、自分も相手も周りもすべてがしあわせな方へと導かれます。
このお話の続きはありませんでしたが、きっと娘さんも赤ちゃんもご両親も、そして住職もみんながしあわせに生きていったのだろうと思います。
宇宙の流れに身を任せるとは、自我を捨て、真の自分ほんとうの自分で生きること。
最後まで、お読みくださってありがとうございます。